2013/11/18

Love Letter to John Waters



ジョン・ウォーターズはわたしの宗教だ。いつから、どうして、彼の虜になってしまったのだろうと考えてみた。きっかけはかの有名な犬のウンコ食いシーンやロブスターレイプシーン、ではなく、彼がスポーツが大嫌いだと堂々宣言しているのを見つけた時だったように思う。
今日までぼくは頑迷なスポーツ嫌いを自認している。スポーツの話題が持ち出されれただけでも頭に血が昇る。「バーズの調子は?」無知なタクシー運転手がボルチモア・オリオールズの話題で和もうと話しかけて来ようもんなら、「スポーツは嫌いだ」と言い放って会話はおしまい。ぼくが男だからって、なんでスポーツの話をしたいと一人決めする?そんなのタクシー運転手の背中を叩いて、「ファスビンダーの最新作見たかい?もう最高だったじゃないか!」って言うようなもんだろう。友達がなにげなくスポーツ・イベントへの関心を漏らそうものなら、すぐに友情を考え直す。だってつまるところ、スポーツなんか大学の学問水準を下げ、騒々しく押しつけがましいテレビの「ビッグ・ゲーム」で休日の貴重な家族の団欒を 台無しにするだけのものじゃないか。すべてのスポーツは蔑まれるべき存在だ。
 こんな調子で延々とスポーツが嫌いな理由が列挙されている『悪趣味映画作法』のこの部分は何百回読み返しても涙が出る。運動を嫌いでもいいんだ。何かを好きであることが人の勝手であるのと同様に、何かを嫌いであることに他人の承認など必要ない。学校という閉鎖的な世界はこんな当然の事実を、意図的に、システマティックに殺す。報酬なしに校庭を十周走ったり、転がった玉を追いかけて喜んでいる犬人間に対して劣等感を持つ必要なんかない。かび臭い更衣室や跳び箱の裏でしくしく泣いていたひとりぼっちのわたしに手を差し伸べてくれたのがこのアメリカのカルト映画監督だったのだ。本業はたぶん映画監督。エッセイスト、スタンダップコメディアン、殺人事件研究家、お喋りの才能と犯罪への偏愛が高じて刑務所で授業を持った「先生」でもある。

現在刊行されている最新の著作Role Modelsにこれに非常によく似たエピソードを見つけてうれしくなった。
テネシー・ウィリアムズは幼少期の心の友だった。(中略) 『One Arm』を読み終わってわかったことは、教師たちがうそぶく「社会のルール」とやらに耳を貸す必要など全く無いということだった。 自分が関わりたくない連中に溶け込めないことなんか恐れなくていいんだ。テネシー・ウィリアムズには別の世界が見えていた。うんざりするほど陰気で退屈な「右ならえ」の世界―ぼくが所属しなさいと強要されてきた世界―の一部なんかになりたくない、特別な人々だけで構成された別の世界。
ジョン・ウォーターズは8ミリカメラを手に取り、この「特別な人々だけで構成された別の世界」を映画にして見せた。知らない人がこの記事の冒頭を読んだら何だと思ったであろう、女装したデブが本物の犬の糞を食べてニッコリ笑うラストシーンが印象的な『ピンク・フラミンゴ』が代表作。どの作品も一般的な映画の価値を一切欠いているにもかかわらず、特定の観客層に向けて抗いがたい電波を発し続けている。「ぼくのファン層は主に、自身のマイノリティーグループにも馴染めないマイノリティーの人たちさ」と彼は言う。「たとえばゲイなのにゲイコミュニティからはぐれてしまう人とか(これは彼自身のこと)、黒人の友達とうまくやっていけない黒人とかね。」

かくいう監督自身は、先に映画を観た人間がガッカリしてしまうほどマトモな人間である。唇の上に細く整えたヒゲと上質なスーツがトレードマーク。カソリックの上流家庭で大切に育てられ、NYUニューヨーク大学に在籍したこともある(ただしマリファナ所持で逮捕、一瞬で放校)。ショウビジネスでやっていきたいという志と、それに伴う才能は幼少期からはっきりしていた。アメリカ郊外の田舎町に生まれながらエキセントリックな仲間を見つけ、一緒に映画を作り「悪趣味の帝王」の称号を欲しいままにする。とはいえ、それは本人も自負する「趣味の良い悪趣味」だ。剃刀のような感性を持ちながら基本的に人間が好きなようで、尖ったジョークに温かさを隠しきれない。だから、彼はいつでも人気者だ。彼がどうして疎外感を感じているのか、何故わたしたちの心を揺さぶることができるのか、正直わたしにはわからない。誰かの孤独は、きっと本人にしかわからないのだ。

彼がドリームランダーズと呼ばれる仲間たちと共に故郷ボルチモアで撮りつづけた変人だらけのユートピアは、何らかの理由で疎外された人間の心に一筋の光をもたらしてきた。ジョン・ウォーターズを中心にたしかに存在した、まぶしい夢の世界。ゲロやウンコや暴力を90分間見せられて尚、ウットリしてしまう。

『ピンク・フラミンゴ』(1972)の現場。
後列左からメアリー・ヴィヴィアン・ピアース、ダニー・ミルズ、ジョン・ウォーターズ、デイヴィッド・ロカリー
前列左からディヴァイン、ミンク・ストール、イディス・マッセイ
 
『ピンク・フラミンゴ』の有名なビジュアル。
永遠のミューズ、ディヴァイン
 
エッグ・レディことイディス・マッセイ。
こんなに魅力的な女性はこの世に二人と居ない(もうあの世だけど。)

この雰囲気はとにかく映画を観てもらわないことには伝わらないわけだが、彼がやたらとこだわる街ボルチモアはトンデモ人間の宝庫らしい。『笑ってコラえて』で特集してくんないかな…。映画に出てくるイカれたキャストや、共鳴して集まったスタッフ陣=ドリームランダーズは全てジモティ。彼らは全くの素人どころか、それ以下―見ての通りドラッグやアルコールの依存症や知恵遅れ一歩手前ばかりなのだが、現場には酒もドラッグもマリファナさえも持ち込み禁止、アドリブは一切無しで台本通り綿密なリハーサルを行うなど映画製作に関してはなかなかストイックである(シラフであの芝居ができるなんてすごい)。こんな出来損ないの人間たちを死ぬほど真剣にさせてしまうんだからやはり映画には魔力があるし、また彼らを統率するジョン・ウォーターズのカリスマ性はまさしくカルト・リーダーと呼ぶにふさわしいだろう。映画の製作秘話はさきに挙げた『悪趣味映画作法』に詳しいが、田舎の変態少年少女が非行と映画製作に明け暮れ、やがてそのムーブメントがロスやNYに波及する狂騒が生き生きと描かれていて、60~70年代ごろの躍動感も相まって大変ときめく。ジョン・ウォーターズと愉快な仲間たちは本当に昔から親友だったんだなというエピソードも細かく記されている。これを青春と呼ばずに何と呼ぼうか。個人的には、というかファンは皆そう言うだろうが元祖ドリームランダーズが揃っていた『ポリエステル』くらいまでの初期の作品がオススメ。同じメンツが「またお前か!」という具合に顔を出していて和む。しかしいかんせんロクでもない人たちなのでドラッグ、AIDS、糖尿病などでとっくにみんな死んでしまった。健在のジョン・ウォーターズ本人やミンク・ストール、パット・モーランら皆ディヴァインと同じ墓地に墓を購入済みというから泣ける。場所はもちろんボルチモア。「友達とは家族の改善版である」と彼は言う。

ファンが残したキスマークだらけのディヴァインの墓。
お供え物は造花にメイクブラシ、アイライナー!

御年67歳のJW先生、2004年の『ダーティ・シェイム』以来映画は撮っていないものの、相変わらず執筆活動や講演会巡業など忙しくしている様子。死ぬ前に(彼がね)どうしても一度本物の神様に会ってみたいと願ってしまうのは信者として当然の事かもしれないが、なんと来月その夢が叶うことになった。彼は熱狂的なクリスマスオタクとしても知られていて、毎年12月になると各地でクリスマスショーを開いているのだ。ずっと気になっていてどうしても勇気が出なかったけど、このたび追い風に乗ってニューヨークまでひとっ飛びすることにしました。いえーい!どうせなら聖地巡礼を兼ねてボルチモアがいいなと思ったんだけど治安が死ぬほど悪いらしい(本当に殺される可能性アリ)。meet and greetというチケットを押さえてもらったので直接ご本人に挨拶したり、サインをもらったりできるそう。どうしようー考えただけで手が震える…!わたしこんなに幸せでいいのかしら?点と線が繋がって、ラッキーはっぴー100連発だった今年一年の集大成。かましてきますわ!

ニューヨークへ行きたいかー!おー!



【参考文献】
  • ジョン・ウォーターズ著, 柳下毅一郎訳『悪趣味映画作法』, 青土社, 1997
  • John Waters, Role Models, Farrar Straus & Giroux, 2011 (2013年11月現在 日本語版未訳。柳下さん訳してくださらないかしらん)   ほか
【参考URL】

JW師匠はずっと昔からブレずに同じことを言い続けているのではっきりしたソースがもはや不明。身分を隠してボルチモアからサンフランシスコまでヒッチハイクした21日間の旅行記Car Sickが来年にも発売予定とのこと。

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